ひと膝退って主水之介は下座。上座に直した褥《しとね》のうえに導かれて来たのは、目の底に静かな光りの見える微行《しのび》姿の豊後守でした。
「ようこそ……」
目礼とともに見迎えた主水之介のその目の前へ、黙って豊後守はいきなり脇差しをつきつけると、声が静かです。
「これをお貸し申そう。早乙女主水之介の最期を飾らっしゃい」
「アハハ……。なるほど、ゆうべの膝枕の借財をお取り立てに参られましたか。なかなかよい膝で御座った。まさにひと膝五千石、切腹せいとの謎で御座るかな」
「その口が憎い。ひと膝五千石とは何ごとでござる。江戸八百万石、お上が御寵愛のお膝じゃ。言うも恐れ多い不義密通、上のお耳にもお這入りで御座るぞ。表沙汰とならばお身は申すに及はず、お紋の方のお名にもかかわろうと思うて、溝口豊後、かく密々に自刄《じじん》すすめに参ったのじゃ。わるうは計らぬわ。いさぎよう切腹さっしゃい」
「アハハハ。なるほど、五千石はちと安う御座ったか。いかさま八百万石の御膝じゃ。そうすればゆうべの片膝は四百万石で御座ったのう。道理でふくよかなぬくみの工合、世にえがたき珍品で御座りましたわい」
恐るる色もないので
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