いうところから、捨て扶持《ぶち》二万石を与えられて、特に客分としての待遇をうけている特別扱いの一家でした。それゆえにこそ、名君を以て任ずる将軍綱吉公は、この名門の後裔を世に出そうという配慮から、異数の抜擢《ばってき》をして問題の人長門守を大阪城代に任じたのが前々年の暮でした。然るに、この長門守が少しく常人でなかったが為に、はしなくもここに問題が起きたと言うのは、即ち峠なし権次が今言った大阪御城内の分銅流し騒動です。事の起ったのはついこの年の春でした。大阪冬の陣と共に豊家《ほうけ》はあの通り悲しい没落を遂げて、世に大阪城の竹流し分銅と称されてやかましかった軍用金のうち、手づかずにまるまる徳川家の手中に帰したのは、実に六百万両という巨額でした。徳川領の関東八カ国だけを敵に廻したら裕《ゆう》に二十カ年、関ガ原以東の諸大名を対手にしたら八カ年、六十余州すべてを敵に引きうけても、結構三カ年間は支え得られると称された程の大軍用金です。さればこそ、徳川家もまた大阪落城と共にこれを我がものとするや、豊家同様にこの竹流し分銅六百万両を以て、一朝有事の際の貴重なる軍用金として秘蔵せしめ、大阪城を預かる城代
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