ぞ。勇ましいぞ」
不意にうしろの濃い霧の中から、すさまじい笑声が爆発したかと思うと、降って湧いたかのように、ぽっかりと霧の幕を破りながら立ち現れた着流し深編笠の美丈夫がありました。誰でもないわが退屈男です。まことに飄々乎《ひょうひょうこ》として、所もあろうにこんな山路の奥の身延街道に姿を現すとは、いっそもう小気味のいい位ですが、しかし、当の本人はそれ程でもないと見えて、相変らず言う事が退屈そうでした。
「元禄さ中に力技《ちからわざ》修業を致すとは、下郎に似合わず見あげた心掛けじゃ。直参旗本早乙女主水之介賞めつかわすぞ。そこじゃ、そこじゃ。もそッと殴れッ、もそッと殴れッ。――左様々々、なかなかよい音じゃ。もそッと叩け、もそッと叩け」
「え?……」
驚いたのは掴み合っている馬子達でした。
「三公、ちょッと待ちな。変なことを言うお侍がいるから手を引きなよ。――ね、ちょッと旦那。あッし共は力技の稽古しているんじゃねえ。喧嘩しているんですぜ」
「心得ておる。世を挙げて滔々《とうとう》と遊惰《ゆうだ》にふける折柄、喧嘩を致すとは天晴れな心掛けと申すのじゃ。もそッと致せ。見物致してつかわすぞ」
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