…そんなこと、知りませぬ。ひとりで参ります。どうぞもう側へ寄らないで下さりませ」
 だが女は、退屈男の眼の配りの鋭さにうっかり手出しは禁物と警戒したものか、それともそうやって嬌羞《きょうしゅう》を作っておいて油断させようというつもりからか、くねりと身をくねらせながら長い袂で面を覆うと、逃げるように側から離れました。しかもその早いこと、早いこと、燕のように身をひるがえしながら、丁度行きついた境内へ小走りに駈け込むと、ウチワ太鼓の唸りさざめいている間を、あちらにくぐりこちらにくぐりぬけて、あッと思ったそのまに、もうどこかへ姿を消しました。
「わははは、剣道修業の者ならば、先ず免許皆伝以上の心眼《しんがん》じゃ。苦手と看破って逃げおったな。いや、よいよい、この境内へ追い込んでおかば、またお目にかかる事もあろうわい。――こりゃ、坊主、坊主」
 勿体らしく衣の袖をかき合せながら、むらがり集《たか》っている講中信者の間をかいくぐって、並び宿坊の方へ境内を急いでいた雛僧を見つけると、まことに言いようもなく鷹揚《おうよう》でした。
「有難く心得ろ。江戸への土産に見物してつかわすぞ。案内せい」
「滅相な
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