経《じょうまひきょう》、法華経《ほけきょう》の御功徳《ごくどく》が然らしむるところか、谷を埋め、杜《もり》を閉ざしていた深い霧も、お山名代のその馬返しへ近づくに随《したが》って、次第々々に晴れ渡りました。と同時に、遙か向うの胸つくばかりな曲り坂の中途にくっきり黒く浮いて見えたのは、まさしく女の小さな影です。
「よッ、あれだ、あれだ。殿様、あの女がたしかにそうですよ。だが、もうお生憎だ。この馬返しから先は、お供が出来ねえんだから、スリはともかく、お約束のどじょうの方はどうなるんですかね」
「一両遣わそうぞ。もう用はない、どじょうになろうと鰻になろうと勝手にせい」
 まことにもう用はない。ひとときの退屈払いには又とない怪しき女の姿が分ったとすれば、見失ってはならないのです。吹替小判をちゃりんと投げ与えておくと、すたすたと大股に追っかけました。

       二

 二丁、三丁、五丁。――豪儀《ごうき》なものです。全山ウチワ太鼓に埋まっていると見えて、一歩々々と久遠寺《くおんじ》の七|堂伽藍《どうがらん》が近づくに随い、ドンドンドドンコ、ドドンコドンと、一貫三百どうでもよいのあのあやに畏こ
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