ヤが餌を悉く私《わたくし》致しおったぞ。ほら、ほら、のう不埒《ふらち》ないたずら共じゃ、早うつけ替えい」
 とぼけて松平の御前は竿の方へ、土州侯は腰を低めてお駕籠の方へ、まことにどうもそのぐずり加減、ぐずられ加減の程のよさというものは、なんともかとも言いようがない。いやなになに、禅の修行代りでなと、いかにも空とぼけたことを言いながら、遠慮するごとくせざるごとく、鷹揚に手土産を御嘉納するあたり、おのずから品が備わって、むしろほほ笑みたい位です。――始終を眺めた退屈男は、えもいいがたいその飄逸《ひょういつ》ぶりに、悉く朗かになりながら、土州侯の行列が通り過ぎてしまったのを見すますと、腰低くつかつかと進みよって、いんぎんに呼びかけました。
「お付きの御坊主衆にまで申し入れまする。江戸旗本早乙女主水之介、松平の御前にお目通り願わしゅう存じまするが、いかがにござりましょう」
「なになに、旗本とな――」
 声をきいて、源七郎君お自ら磊落《らいらく》そうにふり向くと、流れに垂れた釣竿をあやつりあやしつつ、じいッと退屈男をやや暫し見守っていたが、伯楽《はくらく》よく千里の馬を知るとはまさにこれです。

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