ながら、並木つづきのその赤坂街道を、ゆらりゆらりとさしかかって来たのが長沢村です。何の変哲もなさそうな村だが、何しろ時がよい。六月初めの夕焼け時で、空はいち面の鰯波《いわしなみ》――。こやつが空に散ったときは奇妙に魚が釣れると言い伝えられているその鰯波です。事実また魚の方でもあれが空に散ると、いくらか情を催すと見えて、駕籠にゆられながら、道に沿った流れをひょいと見ると、しきりにキラキラと銀鱗が躍っているのだ。――刹那!
「まてッ」
 すさまじい気合でした。ピリッと脳天にひびくような鋭い声で呼びとめながら、のっそり駕籠から降りると、まことにどうも主水之介は、糸の切れた凧のような男です。
「駕籠屋、流れにハヤがおる喃」
「笑《じょう》、笑談じゃござんせんよ。あんまり大きな声をお出しなすったんで、胆《きも》をつぶしました。魚は川の蛆《うじ》と言うくれえなものなんだもの、ハヤがいたって何も珍しかござんせんよ」
「いいや、そうではない。流れに魚族が戯れおるは近頃珍重すべきことじゃ。身共はここで釣を致すぞ」
「え?……」
「予はここでハヤを対手に遊興を致すと申すのじゃ。どこぞ近くの農家にでも参らば
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