み出しました。それが次第に嵩《こう》ずるうちに、大名共、だんだんと狡猾《こうかつ》になって、お墨付には別段音物付け届け手土産の金高質量を明記してなかったのを幸いに、いつのまにか千両は五百両にへり、五百両は二百両に減って、年ごとにその挨拶の相場が下落していったために、窮すれば人また通ず、甚だ小気味のいい妙計を案じ出したのが松平家です。それまでは一枚のお墨付を虎の子のように捧持して、子々係々居ながらに将軍家公許の通行税頂戴職を営んでいたが、上手《うわて》をいってこれを積極的に働かすことを案じ出し、分相応の付け届けを神妙に守る大名には門《かど》を閉めてやって通行勝手たること、少し足りないと思う者には、半分位門をあけておいて、もう一度挨拶金を追加させ、特に目立って、吝嗇《けち》な大名は、その行列が通行する頃を見計らって、松平の御前|自《みずか》ら何ということなく門前のあたりを徘徊《はいかい》しながら、いち段とやかましく礼儀をつくさせて、挨拶手土産献上品を程よく頂戴するように、巧みなお墨付利用法を編み出しました。就中《なかんずく》、当代源七郎君は、生来至っての御濶達《ごかったつ》。加うるに高貴の
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