かし退屈男は、まるでその制札なぞ歯牙《しが》にもかけないといった風でした。
「ほほう。賄賂《わいろ》止めの禁札があるな。よいよい、禁札破り致すのも江戸への土産《みやげ》になって面白かろうぞ。駕籠屋! 帰りのお客は珠数屋のお大尽様じゃ。たんまり酒手をねだるよう、楽しみに致して待っていろよ」
 一向に恐るる色もなく、その上なおどういう理由を以てか、容易ならぬその制札を至ってあっさり賄賂止めと言ってのけながら、珠数屋の大尽も亦すでにもう奪い返したごとき朗かさで、お供の者達をそこに待たしておくと、のっしのっしと近づきながら、いとも正々堂々と大音声《だいおんじょう》に呼ばわりました。
「物申そうぞ! 物申そうぞ! 直参旗本早乙女主水之介、当所司代殿に火急の用向きあって罷《まか》り越した。開門せいッ。開門せいッ」
 と同時でした。窺《うかが》うような足音と共に、そこの物見窓から、ぬッと顔をのぞかせたのは、まさしく先程うろたえながら抜け駈けしていった、あの役侍達二人です。否、のぞいたばかりではない。今ぞ初めてあかした直参旗本のその身分|素姓《すじょう》に、二人はしたたかぎょッとなったらしく、二重の狼
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