でござります。ちッとやそッとのお鳥目では、あの、何でござりますゆえ、今宵はもうあの――」
「控えい! 曲輪《くるわ》遊びは金より気ッ腑が資本《もとで》の筈じゃ。金も必要とあらば、江戸より千二百石、船で運んでとらすわ。それにても足りずば、将軍家に申しあげて直参振舞い金を一万両程お貸し下げ願うてつかわすゆえ、遠慮せずに八ツ橋とやらを早う呼べい」
 はしなくももらした将軍家直参云々の一語におぼろげながら退屈男の身分の何であるかを知ったか、なすところもなく呆然として見守っていた大尽一座の者が、いささかばかり荒肝《あらきも》をひしがれた形で、ぎょッとしながら互いに顔を見合わしているとき、あたりにえも言いがたい異香の香をただよわせて、新造、禿、一|蓮托生《れんたくしょう》の花共を打ち随えながら、長い廊下をうねりにうねって来たのは、問題のその八ツ橋太夫でした。しかもこれが、一脈の気品をたたえて、不埓《ふらち》なほどに美人なのです。
「ほほう、なかなかあでやかじゃ喃《のう》。――女! 早う伝えい。江戸の男が、気ッ腑を資本に遊びに参ったと、早う八ツ橋に伝えい」
 きいて知り、事のいきさつもあらまし知った
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