ごうぜん》としてやって来たのは、一見して成り上がり者の分限者《ぶげんしゃ》と思われる赤ら顔の卑しく肥った町人でした。しかも、その取り巻の中には、公卿侍《くげざむらい》か所司代付きか、それともどこかの藩のお留守居番か、いずれにしてもれっきとした二本差が四人までも平身低頭せんばかりにしながら集《たか》っているのです。――退屈男の口からは自《おの》ずと皮肉交りな冷笑がほころびました。
「ほほう、これはまた珍景じゃな。下郎! あの珠数屋の大尽とか申すは、どこの馬の骨じゃ」
「何だと!」
「騒ぐな騒ぐな。虎の威を藉《か》りて生煮えの啖呵《たんか》を切るものではない。農工商の上に立つお歴々が、尾をふりふり素町人の御機嫌を取り結んでいるゆえ、珍しゅう思うて尋ねるのじゃ。あの成上がり者はどこの虫けらじゃ」
「ヘゲタレ! ぬかしたな! お歴々だろうと二本差だろうと、小判に頭が上らなきゃ仕方がねえんだ。引込んでろ引込んでろッ。お道中先を汚されたんじゃ、露払いの弥太一と名を取ったおれ様の役目にかかわるんだ。振舞い酒にありつきてえと言うんなら、口を利いてやらねえもんでもねえんだから、小さくなって引込んでろッ」
 思い上がっての雑言か、それとも虎の威を藉《か》りての暴言か、身の程知らぬ啖呵《たんか》を切って争っている姿を、のっしのっしと道中しながら見知ったと見えて、取り巻侍のひとりがつかつかとやって来ると、要らざるところへ割って這入りました。
「何じゃ、弥太一! この浪人者が何をしたというのじゃ」
「どうもこうもねえんですよ。あの通り誰も彼も目の明いている者は、みんなお大尽のお道中だと知って道をよけているのに、このヘゲタレ侍めがのそのそしていやがるんで、どきなと言ったら因縁をつけたんですよ」
「左様か。よしッ。拙者が扱ってつかわそう」
 まことに嗤《わら》うべきお猪《ちょ》ッ介《かい》です。こういう場合の用心棒に雇われてでもいるというのか、これみよがしに大きく結んだ羽織の紐をひねりひねり近づいて来ると、恐るべき江戸名物の退屈男とも知らず、横柄に挑みかかりました。
「因縁つけて何をしようというのじゃ!」
 きくや退屈男のまなこは、編笠の奥深く冴え冴えと冴え渡って、その口辺に不気味な微笑がのぼりました。取るに足らぬ下郎下人の雑言ならば、相手にするも大人気ないと笑ってきき流すつもりだったが、形ばかりなりともいち人前の二本差が割って這入ったとすれば、対手にとって不足はなかったからです。わけても、取り巻四人の節操もなく気概も持たぬ、屈辱的な物ごし態度が、三河ながら江戸ながらの旗本魂にぐッとこたえたので、眉間《まゆね》のあたりをぴくぴくさせながら、静かに開き直ると、不気味に問い返しました。
「身共が因縁つけたら、おぬしこそどうしようと言うのじゃ」
「知れたこっちゃ。これが物を言うわッ」
 ぐいと胸を張って、ポンと叩いたのは柄頭《つかがしら》です。
「ほほう、これは面白い!」
 全くこれは面白くなったに違いない。刀に物を言わせようとは、元より退屈男の望むところです。悠然と片手をふところにして、おちつき払いながら促しました。
「では、因縁をつけてつかわそうぞ。なれども、尊公ひとりでは物足りぬ。ゆっくり楽しみたいゆえ、あちらのお三人衆にも手伝うて貰うたらどうじゃ」
「なにッ」
「何だと!」
「ほざいたな!」
「よしッ。それほど斬られたくば、痛い目に会わせてやろう! 出い、出い! 前へ出い!」
 風雲の急を知ったとみえて、残っていた三人の取り巻侍達も、口々に怒号しながら詰めよると、一斉に気色《けしき》ばんで鯉口をくつろげました。
「せくでない!」
 だが、退屈男は憎い程にも自若としたままでした。
「せくでない。せくでない。ならばあしらってつかわそうぞ。しかし、念のためじゃ。見せてつかわすものがある。とくと拝見いたせよ」
 静かに制しながら、のっそりと四人の前に近づくと、おもむろに編笠をとりのけました。と同時に現れた面のすばらしさ! 今にして愈々青く凄然として冴えまさったその面には、あの月の輪型の疵痕が、無言の威嚇を示しながらくっきりと深く浮き上がって、凄艶と言うよりむしろそれは美観でした。しかも退屈男は腰のものに手をかけようともせずに、莞爾《かんじ》としながら笑っているのです。笑いつつ、そしてずいと近よると錆のある太い声で静かに言いました。
「どうじゃ、見たか」
「………?![#「?!」は横一列]」
「いずれも少しぎょッと致したな。遠慮は要らぬぞ。もそッと近よってとっくりみい」
「………」
「のう、どうじゃ。只の傷ではあるまい。江戸では少しばかり人にも知られた傷じゃ。これにても抜いて来るか!」
「………」
「参らばこちらもこの傷にて対手を致すぞ。のう、どうじゃ。来るか!」
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