旗本退屈男 第四話
京へ上った退屈男
佐々木味津三
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)飄然《ひょうぜん》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)丁度|頃《ごろ》の夕まぐれ
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)あくでえ[#「あくでえ」に傍点]
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一
その第四話です。
第三話において物語ったごとく、少しばかり人を斬り、それゆえに少し憂欝になって、その場から足のむくまま気の向くままの旅を思い立ち、江戸の町の闇から闇を縫いながら、いずこへともなく飄然《ひょうぜん》と姿を消したわが退屈男は、それから丁度十八日目の午下《ひるさが》り、霞に乗って来た男のように、ふんわりと西国《さいごく》、京の町へ現れました。
――春、春、春。
――京の町もやはり青葉時です。
都なればこそ京の青葉はまたひとしおに風情《ふぜい》が深い。
ふとん着て寝た姿の東山、清水《きよみず》からは霞が降って、花には遅いがそれゆえにまた程よく程のよい青嵐《あおあらし》の嵐山。六波羅跡《ろくはらあと》の崩れ垣の中からは、夜な夜な変な女が出て袖を引いて、いち夜妻のその一夜代が、ただの十六文だというのだ。
されば、退屈男の青月代《あおさかやき》も冴え冴えとして愈々青み、眉間《みけん》に走る江戸名代のあの月の輪型の疵痕もまた、愈々美しく凄みをまして、春なればこそ、京なればこそ、見るものきくもの珍しいがままに、退屈が名物のわが退屈男も、七日が程の間は、あちらへぶらり、こちらへぶらり、都の青葉の風情を追いつつ、金に糸目をつけない京見物と洒落込《しゃれこ》みました。
だが、そろそろとその青かった月代が、胡麻《ごま》黒く伸びかかって来ると、やはりよくない。どうもよくない。極め付きのあの退屈が、にょきりにょきりと次第に鎌首を抬《もた》げ出して来たのです。何しろ世間は泰平すぎるし、腕はあっても出世は出来ず、天下を狙いたいにも天下の空《あき》はないし、戦争《いくさ》をしたくも戦争は起らず、せめて女にでもぞっこん打ち込む事が出来ればまだいいが、生憎《あいにく》と粋《すい》も甘いも分りすぎているし――そうして、そういう風な千二百石取り直参お旗本の金箔《きんぱく》つきな身分がさせる退屈ですから、いざ鎌首を抬げ出したとなると、知らぬ他国の旅だけに、わびしいのです。あの旅情――ひとり旅の旅びとのみが知るはかなくも物悲しいあの旅情もいくらか手伝って、ふと思いついたのが島原見物でした。江戸にいた頃は、雪が降ろうと風が吹こうと、ひと夜とて吉原ぞめきを欠かしたことのない退屈男です。思い立ったとなると、その場に編笠深く面《おもて》をかくして、白柄細身をずっしり長く落して差しながら、茶献上《ちゃけんじょう》の博多は旗本結び、曲輪《くるわ》手前の女鹿坂《めじかざか》にさしかかったのは、丁度|頃《ごろ》の夕まぐれでした。
「お寄りやす。お掛けやす――ま! すいたらしい御侍様じゃこと。サイコロもございます。碁盤もございます。忍びの部屋もございます。お寄りやす。御掛けやす」
その女鹿坂上の、通称一本楓と言われた楓の下の艶《なま》めいた行燈の蔭から、女装した目にとろけんばかりの色香を湛えて、しきりに呼んでいるのは、元禄の京に名高い陰間《かげま》茶屋です。――江戸の陰間茶屋と言えば、芝の神明裏と湯島の天神下と、一方は増上寺、一方は寛永寺と、揃いも揃って女人禁制のお寺近くにあるというのに、京はまたかくのごとく女には不自由をしない曲輪手前に、恐れ気もなく店を張っているのも、都ならでは見られぬ景物に違いない。
通り越して、ひょいと向うを見ると、はしなくも目にうつったのは、「易断」と丸提灯に染めぬいた大道易者のささやかな屋台です。――退屈男は、にやりとやると、のっそり近づいて、千二百石の殿様ぶりを、ついその言葉のはしにのせながら、横柄に言いました。
「退屈の折からじゃ、目をかけてつかわすぞ、神妙に占ってみい」
「………」
「どうじゃ。第一聞きたいは剣難じゃ。あらば早う会うて見たいものじゃが、あるかないか、どうじゃ」
「………」
「喃《のう》! おやじ! どうじゃ。剣難ありと人相に書いてはないか」
「………」
「ほほう。こやつめ、答えぬところを見ると、場所柄が場所柄ゆえ、堅いほうは不得手と見ゆるな。よいよい、然らば女難でも構わぬゆえ観て貰おう。どうじゃ、身共の人相に惚れそうな女子《おなご》があるか」
「………」
「喃! おやじ! なぜ返事を致さぬ! 黙っているは女難も分らぬと申すか!」
だが、老いたる観相家は、奇怪なことにもきょとんとしたまま、一向に返事をしなかったので、不審に思いながらよくよく見ると、返事のなかったの
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