狽を見せると、それだけにまたこの恐るべき退屈男に堂々と乗り込まれては一大事と見えて、威勢を張りながら必死にはねつけました。
「ならぬ! ならぬ!」
「開門なぞ以てのほかじゃッ」
「貴公の目玉は節穴かッ」
「直参であろうと、旗本であろうと、夜中の通行は制札通り御禁制じゃッ」
「かえれッ。かえれッ」
「とッとと帰って出直さッしゃいッ」
 代る代るに罵《ののし》りながら、表の禁札を楯にとって権柄ずくに拒んだのを、だが退屈男は心に何か期するところがあると見えて、至って朗らかに、至って悠然としながら叫び立てました。
「騒々しゅう申すな。立派な二つの目があればこそ、公儀お直参が夜中のいといもなく直々に参ったのじゃ。どうあっても開門せぬと申すか」
「当り前じゃわッ。表の制札今一度とくと見直さッしゃいッ。禁中よりのお使い並びに江戸公儀よりの御使者以外は、万石城持の諸侯であろうと通行厳禁じゃッ。江戸侍とやらは文字読む術《すべ》御存じござらぬかッ」
「ほほう、申したな。笑おうぞ、笑おうぞ、そのように猛々《たけだけ》しゅう申さば、賄賂《わいろ》止めのこの制札が笑おうぞ」
「なにッ、賄賂止めとは何を申すかッ。この制札が賄賂止めとは何ごとじゃッ。不埓《ふらち》な暴言申さば、御直参たりとも容赦ござらぬぞッ」
「吠えるな、吠えるな。そのように口やかましゅう遠吠えするものではない。揃いも揃うてよくよく物覚えの悪い者達よ喃。この一札こそは、まさしく先々代の名所司代職板倉内膳正殿が、町人下郎共の賄賂請願《わいろせいがん》をそれとなく遠ざけられた世に名高い制札の筈じゃ。無役ながら千二百石頂戴の直参旗本、大手振って通行致すに文句はあるまい。早々に出迎い致してよかろうぞ」
「ぬかすなッ。ぬかすなッ。出迎いなぞと片腹痛いわッ。どういう制札であろうと、通行お差し止めと書いてあらば開門無用じゃッ」
「ほほう、なかなか口賢《くちざか》しいこと申しおるな。ならば制札通り、禁中、お公儀の御使者だったら、否よのう開門致すと申すか」
「くどいわッ、くやしくば将軍家手札でも持って参らッしゃいッ。もう貴公なぞと相手するのも役儀の費《つい》えじゃッ。おととい来るといいわッ」
 面憎《つらにく》げに罵り棄てると、この上の応対も面倒と言わぬばかりに、ピタリ物見の窓をしめ切りました。同時に当然のごとく退屈男が嚇怒《かくど》して、大声に叱咤《しった》でもするだろうと思いのほかに、その一語をきくや否や、期せずして凄艶《せいえん》な面に上ったのは、にんめりとした不気味この上ない微笑です。
「先ずこれで筋書通りに参ると申すものじゃ。然らばそろそろ篠崎流の軍学用いて、否やなく開門させて見さしょうぞ。駕籠屋!」
 さし招くと、
「ひと儲けさせてとらそう。早う参れ」
 一二丁程向うにいざなって、ちゃりちゃりと山吹色の泣き音をさせながら、裸人足共の手のうちに並べて見せたのは天下通宝の小判が十枚――。
「これだけあれば不足はあるまい。どこぞこのあたりの駕籠宿に参って、至急にこれなる乗物、飛脚駕籠に仕立て直して参れ」
「どうなさるんでござんす」
「ちと胸のすく大芝居を打つのじゃ。ついでに替肩の人足共も三四人狩り出して参れよ。よいか、その方共も遠掛けのように、ねじ鉢巻でも致して参れよッ」
 命じて去ろうとすると、いかなる奇計を用いようというのか、退屈男の口辺に再びのぼったのは不気味な微笑です。――そうして四半刻……。

       七

「どいたッ、どいたッ、早駕籠だッ」
「ほらよッ、邪魔だッ、早駕籠だッ」
 道々に景気のいい掛け声をバラ撒きながら、程たたぬ間に人足達は、早打ち仕立ての一挺を軽々と飛ばして来ると、得意そうに促しました。
「どうでござんす」
「ほほう、替肩を六人も連れて参ったな。いや、結構々々。これならば充分じゃ。では、その方共にも見物させてつかわそうぞ。威勢よく今の門前へ乗りつけて、江戸公儀からの急飛脚じゃ。開門開門とわめき立てい」
「………?」
「大事ない。天下の御直参が申し付くるのじゃ。心配せずと、いずれも一世一代の声をあげて呼び立てい」
「面白れえ。やッつけろ」
 乗るのを待って、さッと肩にすると、掛け声もろとも威勢よく、さき程のあの所司代番所門前に風を切って駈けつけながら、ここぞ一世一代とばかり、口々わめき立てました。
「早打ちだッ、早駕籠だッ」
「江戸お公儀からの早駕籠でごぜえます」
「開門! 開門! 御開門を願いまあす!」
「江戸表からの御用駕籠だッ、お早く! お早く! お早く! 開門を願います!」
「なにッ――」
 声をきいて、慌てふためきつつ物見窓から顔をのぞかせたのは、先刻のあの二人です。
「しかと左様かッ。たしかに江戸お公儀からの急飛脚でござるか」
「たしかも、しかもござんせぬ!
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