なって色めき立ったのを、およそ不気味な威嚇です。否! 実に痛快な一語でした。
「何の用もあって来たのではない。江戸侍の怕いところを少々御披露しに参ったのよ」
「なにッ、怕いところを披露とは何のことじゃ! われら、うしろ暗いことなぞ一つもないわッ。道をあけろッ、道をあけろッ。しつこい真似を致すと、役儀の名にかけてもすてておかぬぞッ」
「早い。早い。その啖呵《たんか》はまだ早い。うしろ暗いところがなくば結構じゃ。あとでゆるゆる会おうわい。充分に覚悟しておくがよかろうぞ。では、あちらでお待ち致すかな。腰のものの錆なぞよく落して参れよ」
 気味わるくあっさりあしらっておくと、
「供! 供! お供! 所司代番所じゃ。威勢よく参れッ」
 ゆったり乗って、所司代詰所目ざしながら駕籠を打たせました。――その行き先を耳に入れて、俄《にわ》かに狼狽《ろうばい》し出したのは、今のさき、うしろ暗い事なぞ毫もないと、大見得を切った件《くだん》の二人です。
「少々……」
「うむ、分った! こちらは付添って参らずとも万事心得ている筈じゃ。先廻りしろッ、先廻りしろッ、先廻りしてひと泡吹かせろッ」
 謀《しめ》し合わせて、千両箱の行列は、小者達もろとも向うにやりすごしておいてから、気色《けしき》ばみつつ退屈男のあとを追いかけました。無論おおよその察しをつけたに違いない。何の目的を抱いて所司代番所を目ざしているか、退屈男の底気味わるく落ち付き払った始終の容子から、さてはと察しがついたればこそ、目色を替えて追いかけ、色めき立って必死に先廻りしようとしたに違いないのです。けれども、わが早乙女主水之介は、カンカラと大きく打ち笑ったままでした。
「わはははは、ちと肝が冷えて参ったようじゃな。もそッと走れ、もそッと走れッ。程よく腹がすいてよかろうぞ。もそッと走れ、もそッと走れッ」
 笑いはやしつつ、心持よげにゆったりと駕籠を打たせました。よし察しをつけて所司代詰所に先廻りしながら、役侍の威厳を楯に笑止な刄向い立てしようとも、その身にはより以上にすばらしい千二百石直参お旗本の天下御免なる威厳があるのです。それで不足ならば、これまた天下御免なるあの胆力で行くのだ。それでも足りずば篠崎流《しのざきりゅう》折紙つきの縦横無尽なる軍学智略で行くのだ。なおその二つでも不足だったら、あれで行くのです。あれで行くのです。江戸御免なるあの月ノ輪型の向う疵と、諸羽流正眼崩《もろはりゅうせいがんくず》しのあのすさまじい剣脈で行くのです。
「しっとりと霧が降って、よい夜じゃ。京は霧までが風情《ふぜい》よ喃。駕籠屋! 帰りにどこぞで一杯参ろうぞ」
 などと江戸前の好もしくも風流なわが退屈男は、胆力すでに京一円を蓋《おお》い、気概また都八条を圧するの趣きがありました。
 だが、目ざしたその所司代番所へ行きついて見ると、これがなかなか左様に簡単には参らないのです。必死に駈けぬけて先廻りした二人が早くもその手配をしたのか、それとも夜はそうしておくのが所司代番所のならわしであるのか、門は元よりぴたりと一文字に堅く締め切って、そこには次のごとき威嚇顔の制札が見えました。

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   下乗《ゲジョウ》之事
禁中ヨリノ御使イ、並ビニ江戸
公儀ヨリノ御使者以外ニ夜中ノ
通行堅ク御差止メノ事
[#ここで字下げ終わり]

 はっきりと禁裡御所からのお使い、並びに江戸お公儀からの使者以外は、夜中の通行堅くお差止めの事と書いてあるのです。無論その表書き通りであったら、たやすく開門させることは困難であろうと思われたのに、しかし退屈男は、まるでその制札なぞ歯牙《しが》にもかけないといった風でした。
「ほほう。賄賂《わいろ》止めの禁札があるな。よいよい、禁札破り致すのも江戸への土産《みやげ》になって面白かろうぞ。駕籠屋! 帰りのお客は珠数屋のお大尽様じゃ。たんまり酒手をねだるよう、楽しみに致して待っていろよ」
 一向に恐るる色もなく、その上なおどういう理由を以てか、容易ならぬその制札を至ってあっさり賄賂止めと言ってのけながら、珠数屋の大尽も亦すでにもう奪い返したごとき朗かさで、お供の者達をそこに待たしておくと、のっしのっしと近づきながら、いとも正々堂々と大音声《だいおんじょう》に呼ばわりました。
「物申そうぞ! 物申そうぞ! 直参旗本早乙女主水之介、当所司代殿に火急の用向きあって罷《まか》り越した。開門せいッ。開門せいッ」
 と同時でした。窺《うかが》うような足音と共に、そこの物見窓から、ぬッと顔をのぞかせたのは、まさしく先程うろたえながら抜け駈けしていった、あの役侍達二人です。否、のぞいたばかりではない。今ぞ初めてあかした直参旗本のその身分|素姓《すじょう》に、二人はしたたかぎょッとなったらしく、二重の狼
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