染めぬいた、ひどく艶《なま》めかしい紋でした。造りも亦|朱骨造《しゅぼねづく》りのいとも粋な提灯でしたから、どうも見たような、と思って考えているその胸の中に、はしなくもちかりと閃めき上がったものは、退屈男が丸三年さ迷って、見覚えるともなく見覚えておいた曲輪《くるわ》五町街の、往来途上なぞでよく目にかけた太夫|花魁《おいらん》共の紋提灯です。
「道理で粋《いき》じゃと思うたわい。暇があらば人間、色街《いろまち》にも出入りしておくものじゃな」
 呟いていたかと見えましたが、間をおかないで鋭い質問の矢が飛びました。
「その駕籠は、誰をどこへ連れ参った帰り駕籠じゃ」
「これは、その、何でござります……」
 陸尺《ろくしゃく》共が言いもよったのを御門番の番士が慌てながら引き取って言いました。
「お上屋敷へ急に御用が出来ましたゆえ、御愛妾のお杉の方様が今しがた御召しに成られての帰りでござります」
「なに? では、当下屋敷には御愛妾がいられたと申すか」
「はっ、少しく御所労の気味でござりましたゆえ、もう久しゅう前から御滞在でござります」
「ほほうのう、お大名というものは、なかなか意気なお妾をお飼いおきなさるものじゃな」
 皮肉交りに呟いていましたが、御愛妾が病気保養に長い事滞在していて、同じ屋敷に名前を聞いただけでも優男らしい霧島京弥というような若者が勤番していて、その上、御愛妾は上屋敷へ行ったと言うにも拘らず、駕籠のもってかえった提灯の紋様は曲輪仕立ての意気形でしたから、早くも何事か見透しがついたもののごとく、退屈男のずばりと言う声がありました。
「その駕籠、暫時借用するぞ」
「な。な、なりませぬ。これは下々《しもじも》の者などが、みだりに用いてはならぬ御上様《おかみさま》の御乗用駕籠でござりますゆえ、折角ながらお貸しすること成りませぬ」
「控えい、下々の者とは何事じゃ、榊原大内記《さかきばらだいないき》侯が十二万石の天下諸侯ならば、わしとて劣らぬ天下のお直参じゃ。直参旗本早乙女主水之介が借りると言うなら文句はあるまい――こりゃそこの陸尺共、苦しゅうないぞ、そのように慄えていずと、早う行けッ」
 威嚇するかのごとくに言いながら、ずいと垂れをあげて打ち乗ると、落ち着き払って命じました。
「さ、行けッ。行けッ。今そち達が行って帰ったばかりの曲輪《くるわ》へ参るのじゃ、威勢よく飛んで行けッ」

       五

 かくして乗りつけたところは、粋客《すいきゃく》嫖客《ひょうきゃく》の行きも帰りも悩みの多い、吉原大門前です。無論もう客止めの大門は閉じられていましたが、そこへ行くと三とせ越しのお顔が物を言うのだから叶わない。
「早乙女主水之介、また罷り越すぞ」
 会所の曲輪役人共を尻目にかけながら、ずいとくぐりぬけて、さっさと登《あが》っていった家は意外と言えば意外ですが、先程宵のうちに待ち伏せていて、恋慕の口説《くぜつ》を掻きくどいたあの散茶女郎水浪のいる淡路楼でした。
 喜び上がったのは無論水浪です。小格子女郎のところへなぞはどう間違ったにしても、舞い降りて下さる筈もないお直参の旗本が、それを向うから登楼したので、悉く思い上がりながら仇めかしく両頬を紅《くれない》にぽっと染めて、ふるいつくように言いました。
「ま! よう来てくんなました。では、あの、わちきの願いを叶えて下さる気でありいすか」
「まてまて。叶える叶えないは二の次として、ちとその前に頼みたい事があるが、聞いてくれるか」
「ええもう、主《ぬし》さんの事ならどのようなことでも――」
「左様か、かたじけない、かたじけない。丸に丁の字を染めぬいた看板の持主はどこの太夫さんじゃったかな」
「ま! 曲輪がお家のような主さんでありいすのに。その紋どころならば、王岸楼の丁字花魁ではありいせぬか」
「おう左様か左様か。その丁字花魁の様子をこっそり探って来てほしいのじゃがな。いってくれるか」
「そしたら、わちきの願いも叶えてくんなますかえ」
「風と日和《ひより》次第、ずい分と叶えまいものでもないによって、行くなら早う行って来てくれぬか」
 喜び勇みながら出ていったと思うやまもなく色めき立って帰って来ると、おどろくべき報告をいたしました。
「いぶかしいお客様方ではありいせぬか、丁字さんのところには、由緒ありげな女子《おなご》のお客さんに、美しい若衆が御一緒で、ほかに六七人程も乱暴そうなお武家さんが御一座してざましたよ」
「なにッ、若衆に女子の客とな?――ご苦労じゃった。今宵は許せ。また会うぞ」
 颯爽として立ち上がると、例の宗十郎頭巾のままで、ただちに行き向ったところは揚屋町の王岸楼でした。
「主水之介じゃ。丁字太夫にちと急用があるによって、このまま通って行くぞ」
 言いすてながらずかずかと上がって行く
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