と、言葉もかけずにさっと丁字太夫の部星の障子を押しあけました。と同時に目を射たものは、何たる沙汰の限りの光景でしたろう! そこの部屋の隅に、殆んど慄えるばかりに身体を小さく縮こまらせている美しいお小姓に向って、左右から二人の女が威嚇し、叱り、すかしつつ、呑めぬ茶屋酒を無理強いに強いつつあったからでした。ひとりの裲襠《うちかけ》姿であるのを見ると無論の事に、それが丁字太夫であるに相違なく、他のお部屋姿であるのを見ると、これまたお杉の方である事は言う迄もなく、よりもっと驚いた事は、何たる奇遇と言うべきか、その美々しい若者こそは、先刻宵の仲之町で赤谷伝九郎達から救い出してやったに拘らず、不審にも煙のごとく消え去ったあの若衆髷でしたから、さすがの退屈男も聊《いささ》か意外に思って、見るや同時に先ず呼びかけました。
「そなたが霧島京弥どのか」
「あっ! あなた様はあの……」
頭巾姿でそれと知ったものか、恥じ入るようにもじもじと赤くなりながら言おうとしたのを、主水之介は言うなとばかり手で押さえておいて、ばらりと頭巾を払いのけると、蒼白秀爽なあの顔に無言の威嚇を示しながら、黙ってお杉の方をにらみつけました。
「ま! その三日月形の傷痕は……」
「身をかくそうとしても、もうおそうござるわ!」
おどろいて逃げ出そうとしたお杉の方をずばりと重々しい一言で威嚇しておくと、京弥の方へ向き直ってきき尋ねました。
「先程、仲之町で消え失せたのは、菊路の兄がわしと知ってはいても、会ったことがなかったゆえに、見咎められては恥ずかしいと、それゆえ逃げなさったのじゃな」
「はっ……、御礼も申さずに失礼してでござりました」
「いや、そうと分らば却っていじらしさが増す位のものじゃ。もはやこの様子を見た以上聞かいでも大凡《おおよそ》の事は察しがつくが、でも念のために承わろう。一体いかがいたしたのじゃ」
お杉の方に気がねでもあるかのごとく、もじもじと京弥が言いもよったので、退屈男は千|鈞《きん》の重みある声音《こわね》で強く言いました。
「大事ない! 早乙女主水之介が天下お直参の威権にかけても後楯となってつかわすゆえ、かくさず申して見られよ」
「では申しまするが、お杉の方が久しい前から手前に――」
「身分を弁《わきま》えぬ横恋慕致して、言い迫ったとでも申さるるか」
「はっ……。なれども、いかに仰せられましょうと、君侯《との》のお目をかすめ奉って、左様な道ならぬ不義は霧島京弥、命にかけても相成りませぬ。それにまた――」
「ほかに契り交わした者があるゆえ、その者へ操を立てる上にもならなかったと、申さるるか」
「はっ……。お察しなされて下されませ」
「いや、よくぞ申された。それ聞かばさぞかし菊路も――いや、その契り交わした者とやらも泣いて喜ぶことでござろうよ。その者の兄もまたそれを聞かば、きっと喜ぶでござりましょうよ。だが、少し不審じゃな。お杉の方と言えば仮りにも十二万石の息のかかったお愛妾。にも拘らず、かような場所へそこ許《もと》を掠《さら》って参るとは、またどうしたことじゃ」
「別にそれとて不審はござりませぬ。こちらの丁字様は以前お屋敷に御奉公のお腰元でござりましたのが、故あってこの廓《さと》に身を沈めましたので、そのよしみを辿ってお杉の方様が、手前にあのような偽《にせ》の手紙を遣わしまして、まんまとこのような淫らがましいところへ誘《いざな》い運び、いやがるものを無理矢理に、今ごらんのようなお振舞いを遊ばされたのでござります」
言ったとき――、物音で知ったものか、強刀《ごうとう》をひっさげて、突然そこに姿を見せた者は更に意外! まぎれもなき宵のあの赤谷伝九郎でしたから、退屈男の蒼白な面《おもて》にさッと一抹の怒気が走ると、冴えた声が飛んで行きました。
「さてはうぬが、この淫乱妾のお先棒になって、京弥どのを掠《さら》ってまいったのじゃな」
「よよッ、又しても悪い奴がかぎつけてまいったな! 宵の口にも京弥めを今ひと息で首尾よう掠おうとしたら、要らぬ邪魔だてしやがって、もうこうなればやぶれかぶれじゃ。斬らるるか斬るか二つに一つじゃ。抜けッ、抜けッ」
愚かな奴で場所柄も弁えず、矢庭と強刀を鞘走らしましたものでしたから、退屈男はにんめり冷たい笑いをのせていましたが、ピリリと腹の底迄も威嚇するような言葉が静かに送られました。
「馬鹿者めがッ、この三日月形の傷痕はどうした時に出来たか存ぜぬかッ」
だが伝九郎は、急を知ったと見えてどやどやとそこに門弟達が各々追ッ取り刀で駈けつけて来たので、にわかに気が強くなったに違いない。恐いものをも知らぬげに、ぴたり強刀を主水之介の面前に擬《ぎ》しました。さすがに一流の使い手らしく、なかなか侮りがたい剣相を見せていましたが、しかし退屈男の胆
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