…」
「ちょッ。こっちへお向きなせえよ。あっしだっても、たまにゃ眼《がん》をつけるときがあるんだから、そんなにつれなくしねえだってもいいじゃござんせんか。だから、こんなにも思うんですがね。いまだにあのとおり行くえのわからねえところを見るてえと、下手人の野郎め、騒ぎの起きたどさくさまぎれにべっぴんをかっさらって、無理心中でもしたんじゃねえかと思うんですがね。でえいち、水へもぐって船底をくりぬいた手口なんぞから察してみるに、どうしたって野郎は河童《かっぱ》のようなやつにちげえねえんだからね。女をさらって川底へひきずり込んだかもしれませんぜ」
 何をいっても黙々と聞き流しながら、ゆうようと歩を運ばせていましたが、いよいよいでていよいよ右門流でした。珍事のあった現場へは目もくれようとしないで、人波をよけよけ通りぬけながら、土手について河岸《かし》っぷちを上へ上へとどんどんやって参りましたものでしたから、急にさま変わりをしたのは伝六です。
「世話のやけるだんなじゃござんせんか! そんなほうで舟がぶくぶくやったんじゃねえんですよ。なまずつりに行くんじゃあるめえし、沈んだところはもっと下ですよ、下ですよ。ほら、あそこでわいわいいってるじゃござんせんか!」
 押えてずばりと一喝《いっかつ》。
「静かにせい! だから、おめえなんざ安できの仲間だといってるんだ。ガンガンいうと人だかりがするから、黙ってついてきたらいいじゃねえか」
「じゃ、なんですかい、だんなの目にゃ、この大川が上へ流れているように見えるんですかい」
「うるせえな。右にすきあるごとく見ゆるときは左に真のすきあり――柳生《やぎゅう》の大先生が名言をおっしゃっていらあ。捕物だっても、剣道だっても、極意となりゃ同じなんだッ。さらって逃げたとすりゃ、下手人の野郎もそのこつ[#「こつ」に傍点]をねらって、みんなが川下ばかりへわいわい気をとられているすきに、きっとこっちへ来たにちげえねえんだッ」
 じつに名人ならではできぬ着眼、舟宿を出かけたときからもう眼がついていたとみえて、いうまも烱々《けいけい》と目を光らしながら、しきりに何か捜しさがし、土手ぎわを上へ上へとなお歩を運ばせていたようでしたが、と――、果然! さえざえとした鋭い声があがりました。
「よッ。そろそろにおってきたな! 辰ッ。ちょうちんだッ、ちょうちんだッ。早くおまえの
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