いました。
「ちぇッ。しようのねえだんなだな。八丁堀へけえるんだったら、そっちゃ方角ちげえですよ。そんなほうへやっていったら、信州へ抜けちまうじゃござんせんか」
いわれるほどに道々思いに沈んで、ようようのことにお組屋敷へしょんぼりと帰りつくや、ぐったりそこへうち倒れてしまいました。捕物はじまってここに十六番、かつて見ないほどにも意気|悄沈《しょうちん》のもようでしたから、おこり上戸、おしゃべり上戸とともにいたって泣き上戸の伝六が、おろおろと手放しで始めました。
「ねえ、だんな。――だんなってたら、ちょっと、だんな。しようがねえな。あっしまでが悲しくなるじゃござんせんか。しっかりしておくんなせえよ。――」
聞き流しながら、知恵も才覚もつき果てたようにややしばしぐったりとなったままでいましたが、しかし、そのうちに名人の手がそろりそろりと、あごのあのまばらのひげのところへ持っていかれました。ここへ静かに手先が伸びていくと、曇った空がたいていのとき晴れだすのが普通でしたから、それと知って、今のさっきまでの泣き上戸伝六が、たちまち喜び上戸に早変わりしたのはいうまでもないことです。
「おッ。み
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