言葉だけでもかわしてみたくなるのが自然であろう。多人数の中には、一目見たばかりでいやな奴《やつ》だと思うような相手があるかもしれないが、それでも、絶海の孤島でこれから毎日顔をあわせるように運命づけられた相手だと思えば、好んでけんかをする気にはなれないだろう。できれば表面だけでも仲よく暮《く》らしたいと思うにちがいない。それが自然の人情である。憎《にく》みあうのも自然の人情の一種にはちがいないが、しかし、仲よく暮らすのと憎みあって暮らすのと、どちらがほんとうの人情に合するかというと、それはいうまでもなく前者である。というのは、憎みあって暮らすより、仲よく暮らすほうが愉快《ゆかい》だからである。人情の中の人情、つまりいっさいの人情の基礎をなすものは、愉快になりたいと願う心である。だれも不愉快になりたいと願うものはあるまい。憎みあうのが一種の人情だというのも、もとをただせば、相手が自分を不愉快にする原因になっているからだと思うが、しかし憎みあうことのために、決しておたがいが愉快にならないばかりか、かえっていっそう不愉快さを増すことが明らかである以上、憎みあうのは、いわばとまどいをしている人情
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