少なくとも今のぼくにはできない。今のぼくは、正直に言って、やはり道江に愛されたいのだ。また、友愛塾をつぶした権力者や、それをとりまく人たちを心から憎《にく》んでいるのだ。ぼくの心に、そうした気持ちがうずをまいている限り、ぼくは、親鸞《しんらん》のあとに従って、自分を煩悩熾盛《ぼんのうしじょう》、罪悪深重《ざいあくしんちょう》の人間だと観念するよりしかたがないのではないか。
ぼくは、しかし、だからといって、決してやけ[#「やけ」に傍点]にはなりたくない。またなってもいないつもりだ。ぼくの今の気持ちは、迷うだけ迷ってみたいという気持ちだ。円周にたどりついたあとのほのかな夢だけを抱いて、もがきにもがいているうちには、きっとどこかに道が見つかるだろう。その道は、煩悩熾盛、罪悪深重のままで歩ける道であるのかもしれない。あるいは、公式的教訓にすぎないと思われたことが、次第《しだい》に現実性をおびて来るという形で現われて来るのかもしれない。そう思うと、迷いに迷うことがすでに一つの道である、という気もするのだ。これは自分の自慰《じい》にすぎないだろうか。
何だか、書くことが矛盾《むじゅん》だらけで
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