、そのままには記憶に残っていないが、たしかに今ぼくが考えているのと同じ意味のことだったのだ。
 ところで、運命の中のささやかな自由を生かすためには、いったいどうすればいいのか。その努力の心棒になるのは、いったい何なのだ。この問題の解決こそ、今のぼくにとっては何よりたいせつなことなのだが、ぼくの頭では、まだはっきりとした答が出て来ない。ぼくは中学にはいって間もないころ、生意気にも、「人に愛してもらうことなんかどうでもいい。これからは人を愛する人間になるんだ」というようなことを考えたことがあった。しかし、今から考えてみると、それは、愛にうえている自分のみじめさに腹がたち、子供らしい英雄《えいゆう》心理で自分をごまかしていたにすぎなかったのだ。むろん、ぼくは、「愛されたい願い」から、「愛したい願い」への心の転換《てんかん》を尊く思わないのではない。だが、それはしょせん人生の公式的教訓でしかないのではないか。だれが現実にそれができるというのだ。朝倉先生? 田沼先生? 大河無門? いや、人を疑ってはすまない。世の中にはすぐれた人もいるのだから、自分の心をもって人の心をおしはかるのはよそう。だが、
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