える。もしもぼくが、そうした運命観にとらわれて、正しく生きるための努力を放棄《ほうき》するならば、ぼくは円周のどの一点にも行きつくことができないであろう。ぼくにとって今たいせつなことは、運命によってしめつけられた自由の窮屈《きゅうくつ》さを嘆《なげ》くことではなくて、そのわずかな自由を極度に生かしつつ、一刻も早く円周の一点にたどりつくことでなければならないのだ。ぼくには、このごろ、やっと一つの新しい夢《ゆめ》が生まれかけている。それは、円周の一点にたどりつきさえすれば、そこから円周のどの点にも自由に動いて行けるのではないか、と思えて来たことだ。どんな偉人《いじん》にだって運命はあった。かれらがその運命を克服《こくふく》して自由になり得たのは、運命の中のささやかな自由をたいせつにし、それを生かしつつ、円周の一点にたどりつくことができた時ではなかったろうか。ぼくにはそう思えて来たのである。
 ぼくは、ぼくの小学校時代、大巻の徹太郎叔父《てつたろうおじ》につれられて山に登り、岩を真二つに割って根を大地に張っていた松《まつ》の木を見たことを今思い出す。その時、徹太郎叔父に言って聞かされた言葉は
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