いう人だと思いこんでいるかのような口ぶりだった。
「はあ、では……」
と、背広の男は、いくらかあわてたらしく、さっきとはまるでちがった、せかせかした足どりで自動車のほうにもどって行った。そして、
「田沼さんはまだお見えになっていないそうですが、さしつかえないそうです。」
と、まえと同じように、片手を自動車の中にさしのべた。
「どうれ。」
うなるようにいって、背広の人に手をひかれながら、自動車からあらわれたのは、縫《ぬ》い紋《もん》の羽織《はおり》にセルの袴《はかま》といういでたちの、でっぷり肥《ふと》った、背丈《せたけ》も人並《ひとなみ》以上の老人だった。黒眼鏡をかけているので、眼の様子はわからなかったが、顔じゅうが、散弾《さんだん》でもぶちこまれたあとのようにでこぼこしていて、いかにもすごい感じのする容貌《ようぼう》だった。
二人が近づくのを待って、朝倉先生があらためて言った。
「あなたが荒田さんでいらっしゃいますか。私は塾長の朝倉です。今日はよくおいでくださいました。さあ、どうぞこちらへ。」
「塾長さんですか。荒田です。」
と、老人はかるく首をさげたが、顔の向きは少し横に
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