十分ほどではじまることになっています。」
「荒田さんがそれを見学したいといって、今日はわざわざお出でになっていますが、そう取次いでくだい。」
「荒田さんとおっしゃいますと?」
「荒田直人さんです。田沼《たぬま》理事長にそうおつたえすればわかります。」
「田沼先生はまだお見えになっておりませんが……」
「まだ?」
「ええ、しかし、もうすぐお見えだと思います。」
「塾長は?」
「おられます。」
「じゃあ、塾長でもいいから、そう取り次いでくれたまえ。」
 次郎は、相手の言葉つきが次第《しだい》にあらっぽくなるのに気がついた。しかし、もうそんなことに、むかっ腹《ぱら》をたてるようなかれではなかった。かれは物やわらかに、
「じゃあ、ちょっとお待ちください。」
 と言って、玄関のつきあたりの塾長室に行った。そして、すぐ朝倉先生といっしょに引きかえして来て、二人分のスリッパをそろえた。
 朝倉先生は、いつもの澄《す》んだ眼に微笑《びしょう》をうかべながら、背広服の男に言った。
「私、塾長の朝倉です。はじめてお目にかかりますが、よくおいでくださいました。さあどうぞ。」
 それはいかにも背広の男を荒田と
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