日の手順などのことについてではなかった。そうしたことは、もうたいてい塾生たちの分担に任しておいても、決して不安はなかったのである。ただ、かれがたえず悩んだのは、ともすると心の底に、朝倉先生のいわゆるけちな闘志《とうし》がうごめくことであった。交歓会とは名ばかりで、その実、戦いをいどまれているようなものであり、しかも、その結果いかんは、ただちに塾の運命を左右するのだ、と思うと、怒《いか》りがこみあげて来て、何くそ、負けてなるものか、という気になる。
 だが、そうした闘志に身を任せることは、決して友愛塾としての真の勝利をもたらすゆえんではない。それどころか、そのこと自体がすでに敗北を意味するのだ。かりに百歩をゆずってそうした闘志をゆるすとしても、その闘志をどう使えば相手を打ち負かすことができるのか、相手はこちらが相手以上に軍国調にならないかぎり、絶対に負けたとは思わない人たちなのだ。そう思いかえしては、自分をおさえるのだったが、おさえればおさえるほど、無念でならない気がして来るのである。
 こうした闘志は、むろん次郎だけのものではなかった。気の強い塾生たちの中には、次郎ほどの反省力や責任感
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