たが、どこからも制止されなかった。軍首脳部や長老の動きは頻繁《ひんぱん》で、その代表者は叛軍の説得に赴《おもむ》いたが、その結果はきわめてあいまいであり、しかもその夕方には、叛軍の疲労《ひろう》をねぎらう意味で首相官邸をはじめ、鉄道、文部、大蔵《おおくら》、農林の諸大臣の官邸や、山王ホテル、料亭《りょうてい》幸楽等が彼等《かれら》の宿舎として提供された。こうした矛盾《むじゅん》にみちた報道がつぎつぎに伝わる一方、二十八日の夕刻ごろからは、九段戒厳司令部の警戒《けいかい》が次第《しだい》に厳重を加え、叛軍包囲の態勢が刻々に整って行くかのような印象を与《あた》えるラジオ放送もちらちらきこえだした。
 塾生たちが最も不安の念にかられたのは、二十八日夜から二十九日にかけてであった。皇軍相討《こうぐんあいう》つ危険が、こうした報道を通じて、避《さ》けがたいものに感じられて来たのである。ことに二十九日朝のラジオはアナウンサーの切々たる情感をこめた声をとおして、戒厳司令官の兵に対する原隊復帰|勧告《かんこく》の言葉をつたえ、いよいよ事態の切迫《せっぱく》を思わせた。司令官は、その中で、すでに奉勅《ほ
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