対する正面切っての質問ともなった。そうした場合の朝倉先生の答えは簡単だったが、内容はいつも複雑だった。たとえば、
「何も知らない兵隊たちには、汚名《おめい》を負わせないですめばそれにこしたことはないだろう。」とか、
「報道者の苦心はなみたいていではないだろう。ちょっとした文章や声の調子にもそれがあらわれているのがわかるね。」
とかいうのであった。
報道は一報ごとに不安と疑惑《ぎわく》を増大せしめるようなものばかりであった。戦時警備令が下り、香椎《かしい》中将の下に第一師団と近衛《このえ》師団とがその任に当たることになったのは当然だとしても、叛乱軍の諸部隊が、そのまま警備部隊に編入され、それぞれの占拠地において警備に任ずることになり、戒厳令《かいげんれい》が布《し》かれてもやはり同様であった。しかも叛軍の一将校はその占拠地において民衆に、「尊皇義軍《そんのうぎぐん》」の精神を説くアジ演説をさえやった。また永田町首相|官邸《かんてい》の付近には、青年団体や日蓮宗《にちれんしゅう》の信者などが押《お》しかけて、ラッパを吹《ふ》き、太鼓《たいこ》を鳴らし、叛軍のために万歳《ばんざい》を唱え
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