のために、感情的興奮に駆《か》られてはげしい言葉づかいをするようなことは決してなかった。真剣であり熱心であるということと、冷静であり理性的であるということを一致《いっち》させることの困難さを、両先生は、その教育的信念と年齢《ねんれい》とによって、すでに十分|克服《こくふく》していたのである。
だが、両先生のそうした真剣さと聡明《そうめい》さとにもかかわらず、塾生たちの興奮は、なかなか治まらなかった。どうなり治まりかけたかと思うと、だれかのちょっとした刺激的な発言によって、またすぐ火がつくといったぐあいであった。青年の集団では、一般《いっぱん》に理知よりも激情《げきじょう》が勝利をしめがちなものだが、とりわけ説得者が大人であり、青年自身の中からその強力な支持者が一人もあらわれない場合、理知の勝利はほとんど絶望的だとさえ言えるのである。だから、もし塾生の中に大河無門や青山敬太郎のような青年たちがいなかったとしたら、両先生も、わずか二時間ぐらいの研究会では、政治に対する青年団のあり方について正しい結論を引き出しうるまでに、かれらの気分を落ちつけることができなかったかもしれないのである。
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