いたのであるが、ことにこの数日間は、ひまさえあると自分の室にとじこもり、くりかえしそれに眼をさらしては、何か考えこむといったふうであった。
かれが最初「歎異抄」というものを読んでみる気になったのは、実は、それが宗教の古典として非常に有名であるというだけの理由からにすぎなかった。しかし、一度それに眼をとおすと、これまでの読書の場合とはまるでちがった魅力《みりょく》をそれに覚えた。そして読めば読むほど、底の知れない苦悩と、限りなく清澄《せいちょう》な心境とに、同時に誘《さそ》いこまれて行くような気がするのだった。むろん「弥陀《みだ》」だの、「念仏」だの、「往生《おうじょう》」だのという言葉は、かれにはまだ、十分には理解もされず、気持ちの上でもぴったりしない言葉であった。その点からいって、かれは、おそらく、親鸞《しんらん》の他力信心《たりきしんじん》をそのまま素直《すなお》に受けいれていたとは言えなかったであろう。しかし、それにもかかわらず、その中には無条件にかれの胸にくい入る何ものかがあった。それは、親鸞の徹底《てってい》した真実性であり、つきつめた自己反省による罪悪深重《ざいあくしんち
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