たいどこから湧《わ》いて来るのか。心のどこにそんな余地があり、そんなすき間があるのか。――
考えてみると、道江の問題について、これまで自分のとって来た態度のすべては、要するにお体裁《ていさい》であり、偽善であり、下劣《げれつ》な自尊心の満足であり、劣等感《れっとうかん》をごまかすための虚勢《きょせい》でしかなかったのだ。何というなさけない自分だろう。
かれの反省の最後は、いつも、そうしたところに落ちて行くのだった。そして、それから先には一歩も進むことができず、相変わらず恭一から手紙が来ないのが気になり、またそれを反省しては、ますますみじめな気持ちになるばかりだったのである。
とりわけ、かれが自分をなさけなく思い、ほとんど絶望的な気持ちにさえなったのは、ふと恭一に対してつぎのような疑いを抱《いだ》いたときであった。――兄は、兄自身のためにぼくの気持ちをさぐってみたにすぎないのだ。ぼくの返事を見て、今ごろはおそらくほくそ笑《え》んでいることだろう。――
もっとも、この疑いはほんの一瞬《いっしゅん》だった。かれはいそいでそれを打ち消したし、疑いそのものが、あとまでながくかれを苦しめた
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