って来た幼年時代と少しも変わったところがないではないか。いや、あのころの自分は、まだ今ほどには見ぐるしくはなかった。なるほど、自分はあのころ、虚言《きょげん》、策略《さくりゃく》、暴力、偽善《ぎぜん》、そのほかありとあらゆる卑劣《ひれつ》な手段を毎日もてあそんでいた。しかし、それらはすべて、自分の心の底からの願い、――自分にとっては生きるということと全く同じ意味をもつほどの、せっぱつまった願いをみたすために、自然が自分に教えてくれた手段だったのだ。自分は何よりもまず母の愛を求めていた。また、母をはじめ、肉親の人たちの自分に対する公平な待遇《たいぐう》を求めていた。それはあのころの自分にとって、決して不当な願いではなかったはずなのだ。いや、不当の願いでないどころか、それはかえって、自分を虚偽《きょぎ》や、策略や、暴力や、偽善から救い、正常な人間になるために、絶対に必要な願いであったとさえいえるのだ。その意味で、あのころの自分は、無意識的ではあったにせよ、自分に対してきわめて忠実であったと言えるのではないか。しかるに今はどうだ。今の自分のどこに少しでも真実さというものが残されているのだ。自
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