たところで、まだ何も正面切っての話があっていたわけではなかった。なるほど、父《とう》さんからは、たった一度だけ、それもごくぼんやりと、ぼくの気持ちをきかれたことがあるにはあった。しかし、その時も、ぼくは、結婚《けっこん》はまだずいぶん先のことだし、ゆっくり考えておきましょうぐらいな、いいかげんな返事をしたにすぎなかったのだ。むろん、ぼくは、はっきり道江をきらいだとは言わなかった。しかし、それは、あんなやさしい子をそんなふうに言う気がしなかったからで、決して異性として、将来の結婚の相手として、いくらかでも心をひかれていたからではなかった。要するに、ぼくは、親類のやさしい女の子として、道江を十分愛しもし、尊敬もしていたが、道江がだれと結婚しようと、その相手がいい人でさえあれば、それは、その当時、ぼくにとってはどうでもいいことだったのだ。では、今はどうか。これがおそらく君にとっても、ぼくにとっても最も大事な問題だと思うが、それについても、ぼくははっきり言うことができる――」
次郎は思わず息をのんだ。
「道江は、今でも、ぼくにとっては、親類の愛すべき女の子以上の存在ではない。ただその当時と、
前へ
次へ
全436ページ中239ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング