というのか。
かれには、まったく自信がなかった。白鳥会時代の心の修練も、友愛塾の助手としての現在の信念も、こうした場合の態度を決定するには、何のたしにもならなかった。かれがこれまで信奉《しんぽう》もし、実践《じっせん》にもつとめて来た、友愛・正義・自主・自律・創造、といったような、社会生活の基本的|徳目《とくもく》は、今のかれには、全く力のない、空疎《くうそ》な言葉の羅列《られつ》でしかなかった。そしてそこに気がつくと、かれはいよいようろたえた。
道江という一女性が、間もなく、自分の目のまえに現われるという小さなできことの予想、――大きな人間社会の運行《うんこう》の中では、まったくどうでもいいような、そうした小さなできごとの予想《よそう》が、どうしてこれほどまでに自分をまごつかせ、自分の不断の心の修練を無力にするのか。どうして、現在友愛塾におおいかぶさっている深刻な問題以上に、自分の心をなやますのか。女性とは、恋愛《れんあい》とは、いったい何だろう。それは、これまで自分が考えて来た人間生活の秩序とは、全く次元のちがった秩序に属するものだろうか。
そんなはずはない!
かれは心の中
前へ
次へ
全436ページ中202ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング