いういい気な、甘《あま》っちょろい兄だろう、と軽蔑《けいべつ》してやりたい気にさえなる。
 もっとも道江にたいして自分の抱《いだ》いている気持ちに、兄がまだまるで気がついていないらしいのは、ありがたいことだ。しかし、だからといって、二人がむつまじくつれだってやって来るのまでを、ありがたく思うわけにはいかない。痛いきずは、どんなに用心ぶかくさわられても痛いのに、まして、そのきずに気がつかないで、無遠慮《ぶえんりょ》にさわられては全くたまったものではないのだ。
 しかし、兄はおそらく道江をつれて来る。いや、かならずつれて来る。そして、無意識な残酷《ざんこく》さで自分の痛いきずにさわろうとしているのだ。二人はあらゆる好意にみちた言葉を自分になげかけるだろう。二人のむつまじさを三人にひろげることによって、二人は一そう深いよろこびを味わおうとつとめるだろう。二人はいろいろと過去の思い出を語るにちがいないが、その思い出の愉快さも不愉快さも、三人に共通するものとして語られるにちがいない。自分は、二人のそうした無意識な残酷さにたいして、いったいどういう態度をとればいいのか。いや、どういう態度をとりうる
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