には、
「朝倉先生にもしばらくお目にかかっていないので、近いうちに、ぼくのほうから訪ねたいと思っている。塾がまたはじまったそうだから、先生も君も日曜でなければひまがないだろうと想像《そうぞう》して、だいたい今度の日曜を予定している。ぼくのほうはたぶん変更《へんこう》の必要はあるまいと思うが、君のほうでさしつかえがあったら、すぐ返事をくれたまえ。さしつかえなければ返事の必要はない。」
とあった。
次郎は、その中の「ぼくのほうはたぶん変更はあるまいと思うが」という文句が気になった。もし恭一だけの考えで日取りがきめられるものだったら、そんなあいまいな言いかたをするわけがない。これはだれかほかの人の都合を念頭においてのことらしい、もしそうだとすると、それは道江《みちえ》の着京の日取りにちがいないのだ。
では、なぜそれならそれとはっきり書かないのだろう。道江の名を書くのがきまりわるくて、暗々裡《あんあんり》にそれをほのめかしたつもりなのだろうか。あるいは、予告なしに道江をつれて来て、自分をおどろかすつもりなのだろうか。いずれにしても、自分にとっては、あまり愉快《ゆかい》なことではない。何と
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