。それは、もともとここの生活では、だれがどんな働きをして、どんな名誉《めいよ》を担《にな》うかということは、あまりたいせつなことではないからだ。ここの生活でたいせつなのは、名でなくて実である。心である。その心がむだにならないで、共同生活全体の中に生かされていけば、個々の人の名などは、しいて問題にする必要はない。そういう意味で、私は、今朝のような板木の打ちかたをする心をもった人が、君らの中に、少なくとも一人だけはいる、ということを知っただけで満足したいと思う。そして、その一人の心が、おたがいの生活の中に、すこしもむだにならないで生かされていくことを、心から期待したい。……つまり、愛情に出発した、おだやかな、しかも辛抱づよい努力、そういう努力を、単に板木を打つ場合だけでなく、すべての場合に払《はら》ってもらいたいのである。……名を求めず、ひたすらに実を捧《ささ》げるという気持ちに徹《てっ》して、そういう努力を、みんなで払ってもらいたいのである。――」
 朝倉先生は、そこでまた口をつぐんだ。塾生たちの中には、話がそれで終わったのかと思い、そっと眼をひらいて、先生の顔をのぞいて見たものもあった
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