たが、それでも家におりさえすれば、塾堂建設に役だつような仕事を何かと自分で捜《さが》しだして、それに精魂《せいこん》をぶちこんだ。畑も片っぱしから耕して種をまいた。鶏舎《けいしゃ》も三十|羽《ぱ》ぐらいは飼《か》えるようなのを自分で工夫《くふう》して建てた。こうしたことには、郷里でのかれの経験が非常に役にたった。そして、その年の暮れには、鶏《にわとり》に卵を生ませ、畑に冬ごしの野菜ものさえいくらか育てていたのである。
かれは、上京以来、父の俊亮《しゅんすけ》にはたびたび手紙を書いた。それはすべて喜びにみちた手紙だった。恭一《きょういち》や大沢《おおさわ》や新賀や梅本《うめもと》にも、おりおり思い出しては、絵はがきなどに簡単な生活報告を書き送った。乳母のお浜《はま》には、郷里では久しく文通を怠《おこた》っていたが、いざ上京というときになって、ふと彼女《かのじょ》のことを思いおこし、妙《みょう》に感傷的な気分になった。で、くわしい事情はうちあけないで、単に東京に出て勉強することになったという意味のことだけ書きおくったが、それがきっかけになって、上京後も何度か絵はがきぐらいで便《たよ》りを
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