るしい一室で暮《く》らしていたころの光景までが、おりおりかれの眼に浮《う》かんでいたのである。
 引越しがすんだあとでも、先生はとかく外出がちだった。おもな用件は、講師|陣《じん》の編成とか、助手や炊事夫《すいじふ》その他の使用人の物色《ぶっしょく》とかいうことにあったらしく、帰ってくるとその人選難をかこつことがしばしばだった。ことに講師陣の編成について苦労が多かったらしい。
「著書や世間の評判などをたよりにして、この人ならと思って会ってみると、思想傾向と人柄《ひとがら》とがまるでちぐはぐだったりしてね。知性と生活|情操《じょうそう》とがぴったりしている人というものは、あんがい少ないものだよ。」
 そんなことをいったりしたこともあった。
 先生が在宅の日には、よく夫人が外出した。それは寮母として参考になるような施設《しせつ》をほうぼう見学するためであった。また、その方面の参考書も、見つかり次第買って帰った。しかし、ふだんは先生の秘書役といったような仕事を引きうけ、また、先生の留守中は本館の工事のほうの相談にも応じていた。
 次郎は学校に通うので、まとまった仕事の手助けはあまりできなかっ
前へ 次へ
全436ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング