|畳《じょう》に四畳半、それに玄関《げんかん》と便所とがついているきりだった。開塾後《かいじゅくご》は、食事は朝昼晩、塾生といっしょに本館でとることになっていたので、台所は四畳半の縁先《えんさき》に下屋《したや》をおろして当分間に合わせることになっていた。
 引越し荷物は決して多いほうではなかったが、それでも、この手ぜまな家にはどうにも納《おさ》まりかねた。本だけでも相当だった。本館ができあがると、そこに先生専用の室が予定されていたし、また物置きになるような部屋も当然できるはずだったので、何とか始末のしようもあったが、それまでは極度《きょくど》に不便をしのぶほかなかった。で、結局、四畳半と玄関とは当分物置きに使うことにし、八畳一間を三人の共用にした。その結果、ひる間は一つの卓《たく》を囲《かこ》んで食事もし、本も読み、事務もとり、夜は卓を縁側《えんがわ》に出して三人の寝床《ねどこ》をのべるといったぐあいであった。次郎は、先生夫妻に対してすまないという気で一ぱいになりながらも、心の奥底《おくそこ》では、それが楽しくてならないのだった。里子《さとご》時代に、乳母《うば》の家族と狭《せま》く
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