の青白い横顔と、塾生たちのかしこまった顔とを等分に見くらべながら、息づまるような気持ちで中佐の言葉を待った。
 中佐は、しかし、あんがいなほど物やわらかな調子で口をきった。そして、まず、田沼理事長と朝倉塾長の青年教育に対する努力を、ありふれた形容詞をまじえて賞讃《しょうさん》した。それは決して、真実味のこもったものではなく、いちおうの礼儀《れいぎ》にすぎないものであることは明らかであったが、次郎はそれでも、この調子なら、そうむき出しに塾の精神をけなしつけることもあるまい、という気がして、いくぶん緊張をゆるめていた。
 しかし、中佐のそんな調子は三分とはつづかなかった。かれはやがて世界の大勢を説き、日本の生命線を論じた。そしてその結論としての国民の覚悟《かくご》について述べだしたが、もうそのころには、かれはかなり狂気《きょうき》じみた煽動《せんどう》演説家になっていた。さらに進んで青年の修養を論ずる段になると、かれの佩剣の鞘《さや》が、たえ間なく演壇の床板をついて、勇《いさ》ましい言葉の爆発《ばくはつ》に伴奏《ばんそう》の役割をつとめた。かれはしばしば「陛下《へいか》」とか「大御心《おお
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