の島の生活について無経験であるという点では、諸君と少しも変わるところがない。その点では諸君の先輩《せんぱい》だとさえいえないのだから、まして諸君の指導者でもなければ、命令者でもない。そういうことを私に期待していては、ここの生活は成り立つ見込《みこ》みがない。すべては、諸君自身の努力にかかっているのである。――」
 次郎は、いつもなら、朝倉先生がこの大事な一点にふれると、塾生たちのそれに対する反応を見ようとして、いそがしく眼をうごかすところだった。しかし、その時、かれの視線は、かれ自身でも気づかないうちに、荒田老のほうに引きつけられていた。ところで、かれにとって全く意外だったのは、荒田老がその時めずらしく、その木像のような姿勢をくずし、両手を口にあてて大きなあくびをしたことであった。かれが荒田老に予期していたものは、よかれあしかれ、もっと真剣《しんけん》な表情か、さもなくば全くの無表情だったのである。
 かれは思わず歯をくいしばった。朝倉先生は、しかし、相変わらずしずかに話をつづけるのだった。
「かように、何一つ伝統もなければ、一人の指導者もいないところでは、おたがいがめいめいの知恵をしぼり、その協力によって組織を作りあげていくよりしかたがない。そこで、これからのここの生活にとって非常に大切なのは創造の精神である。諸君の中には、これまで、伝統や規則や、特定の人の指揮《しき》命令に従って行動するようにのみ訓練され、共同生活訓練といえば、だいたいそうした訓練だと心得ている者があるかもしれないが、ここでの生活はそれとは全くちがわなければならない。全くと言っては少し言いすぎるかもしれないが、ともかくも、まずめいめいに自分で考え、自分で判断し、その考えなり判断なりをおたがいに持ちよって、それを取捨《しゅしゃ》し、選択《せんたく》し、総合して行くのでなければならない。共同生活にとって、遵奉《じゅんぽう》とか服従とかいうことのたいせつなことはいうまでもないが、ここでは守るべき法も、従うべき権威《けんい》もまだできていないのだから、もしそれが必要なら、まずおたがいの努力によってそれを創《つく》りあげていかなければならないのである。伝統や、すでにできあがっている規則や、だれかの指揮命令で動くように慣らされた人にとっては、随分勝手がちがうだろう。何だかたよりないという気がするかもしれない
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