で仲よくなれないし、したがってほんとうの意味で愉快にもなれない。つまり人情の中の人情が味わえないということになるのである。――
「仲よく戒《いまし》めあい、仲よく尻をたたきあうということは、決してなまやさしいことではない。それをうまくやっていくには、随分《ずいぶん》とおたがいの心が深まらなければならないのである。ところで、心が深まるためには、やはりおたがいに戒めあい、尻をたたきあわなければならない。それは最初のうちは愉快でないかもしれないが、しかし、ある程度|辛抱《しんぼう》してやっていくうちには、かえってそういうことに大きな喜びを感ずるようになるものである。それは心が深まるからである。そしてそうなると、人間が加速度的に伸びていくし、喜びもそれに伴《ともな》っていよいよ大きく、高く、深くなっていくものである。――
「さて、第三にお願いしたいのは、おたがいの生活に組織を与《あた》えるための工夫をこらしてもらいたいということである。それは、むろん、ここの共同生活の体裁《ていさい》をととのえるために必要なのではない。組織のための組織を作るような弊《へい》におちいってならないことは、いうまでもない。おたがいが仲よく人間を伸ばしあうのに最も都合のよい組織を作りあげたいのである。――
「ところで、さっきも言ったとおり、おたがいは、今日ここに漂流して来て、偶然いっしょになったばかりなのだから、どんな組織を作るかということについて、たよりになるような社会伝統というものが全くない。また、過去におたがいと同じような事情のもとに、ここで共同生活を営んだ人たちがあったとしても、その組織がどんなものであったかは、今は全く不明である。要するに伝統は何一つない。すべてはこれからはじまるのである。もっとも、こうした建物があり、森があり、畑があるからには、さがせば過去の漂流者たちが営んだ共同生活の姿をしのぶ材料がいくらかはあるかもしれない。しかし、法律・制度・規則・命令といった種類のものは、何一つ残されてはいない。諸君は私の口からそれを聞きたいと思っているかもしれないが、私もまた今日漂流して来たばかりの人間なのだから、それを知っていよう道理がない。あるいは諸君の中には、私にそうしたものを作ってもらいたいと考えているものがあるかもしれない。しかし、私はただ諸君よりいくらか年をとっているというだけで、こ
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