で、ほんとうの人情だとはいえないわけである。――
「そこで、まず第一に私が諸君にお願いしたいのは、このほんとうの人情、だれもがまちがいなくめいめいの胸に抱《いだ》いているこの人情を存分に生かしあいたいということである。宗教・道徳・哲学《てつがく》などの理論を持ち出してやかましいことをいえば、いろいろいうこともあるだろうが、愉快になりたいのがおたがいの偽《いつわ》らない人情であり、そしてそのためにおたがいに仲よく暮らしたいというのも人情であるならば、ひとまずやかましい理屈《りくつ》はぬきにして、その人情を生かしあうことに、ここの共同生活の出発点を定めてもいいのではあるまいかと思う。」
次郎は、これまで、いくたびとなく朝倉先生の話をきいて来たが、今日の表現は全く新しいと思った。塾生を「絶海の孤島の漂流者」に見たてたのもはじめてのことだったし、だれにも納得《なっとく》のいく「人情」に出発して塾の生活を説明しようとしたのも、これまでに例のないことだったのである。かれは先生の言葉にきき入って、いつの間にか荒田老の顔から眼をそらしていた。
先生は、その澄んだ眼をとじたり開いたりしながら、考え考え、話をすすめていった。
「ところで、一口に仲よくするといっても、仲のよさにも、種類があり、深浅《しんせん》の差がある。そして、どうかすると、仲のよいままに、みんなが堕落《だらく》するということがないとも限らない。みんなが堕落するというのは、実はみんながおたがいに人間を殺しあっているからで、それでは真の意味で仲がよいとはいえない。しかも、そうした仲のよさは決してながつづきするものではない。ほんのちょっとしたはずみで冷たくなってしまうか、あるいははなはだしいのになると、仇同士《かたきどうし》のようになってしまうものである。その結果、非常に不愉快になって、愉快になりたいという人情の中の人情もだめになってしまう。――
「そこでたいせつなのは、おたがいに人間を伸《の》ばしあうようにたえず心を使うということでなければならない。これが諸君に対する私の第二のお願いである。伸ばしあうためには、時にはおたがいに気にくわぬことをいいあったり、尻をたたきあったりしなければならないかもしれない。それはちょっと考えると不愉快なことであり、人情にもとることである。しかし、それを忍《しの》ばなければ、ほんとうの意味
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