。しかし、たよるべき何ものもない絶海の孤島におたがいが漂流して来たと思えば、それよりほかに道はないわけである。とにかく努力して見ることである。あるいは、中には、――これはまさかとは思うが――組織などなければないでいい、強制がなくてそのほうがかえって気楽だ、と考えているものがあるかもしれない。もし、万一にも、諸君のすべてがそう思っているなら、――いいかえると、それが諸君の精一ぱいの知恵を出しあっての結論なら、私はあながちそれに反対しようとは思わない。何事も経験だから、それではたしておたがいの生活が愉快になるものかどうか、ためして見るのもいいだろう。しかし、常識ある諸君が、まさかそんな乱暴な実験をやるだろうとは、私には信じられない。――
「考えて見ると、おたがいが、今言ったように知恵をしぼりあって、おたがいの共同社会を建設して行くという生活は、ただ従順《じゅうじゅん》に伝統や規則や指揮命令に従って形をととのえていくというような簡単な生活ではない。それだけにむずかしくもあれば、またその途中《とちゅう》で、いろいろのつまずきも経験しなければならないだろう。あるいは、最後までつまずきの連続で終わるかもしれない。しかし、それも結構である。それでもおたがいの人間が伸び、心が深まり、したがってほんとうの意味で仲のいい愉快な生活がひらけていくなら、命令服従の関係で形だけをととのえていく生活よりははるかに有意義である。要するに、ここの生活は、与えられたある型にはまりこむ生活ではない。あくまでも創る生活である。おたがいに仲よく愉快に暮らしたいという共通の人情に出発して、その人情をできるだけ高く深く生かすような共同の組織とその運営のしかたとを、おたがいの頭と胸と行動とで創り出す生活、そしてその創り出すということに喜びを感ずる生活でなければならないのである。――
「そこで、最後に言っておきたいのは、おたがいに結果をいそいで自分を偽《いつわ》るようなことをしてはならないということである。形のととのった共同生活の姿を一刻も早くつくりあげようとしていいかげんに妥協《だきょう》したり、盲従《もうじゅう》したり、あるいは人任せにしたりすることは、厳につつしまなければならない。めいめいが正直に、生き生きと自分の全能力を発揮《はっき》しつつ、矛盾《むじゅん》衝突《しょうとつ》を克服《こくふく》し、それを全
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