生は、ある夕方、外出先から帰って来て室内を見まわしながら言った。
「せっかく整理してもらったが、近いうちにまた引越すことになるかもしれないよ。」
「あら。」
と夫人は、めったに先生には見せたことのない不満な気持ちを、かるい驚《おどろ》きの中にこめて、
「やはり、こちらでは手ぜまでしょうか。」
夫人がそういうと、次郎も、それが自分のせいだという気がして顔をくもらせた。先生は、しかし、笑いながら、
「手ぜまなのは、覚悟《かくご》のまえさ。越したところで、どうせ今度の家も広くはないよ。あるいは、ここよりも窮屈《きゅうくつ》になるかもしれん。実は、はっきり決まらないうちに話して、ぬか喜びをさせるのもどうかと思って、ひかえていたんだが、私がかねて考えていたことが近く実現しそうになったのでね。」
「考えていらしったことといいますと?」
「青年|塾《じゅく》のことさ。」
「あら、そう?」
夫人はもう一度おどろいた。それは、しかし、深い喜びをこめたおどろきだった。
「土地や建物も、あんがいぞうさなく手に入ったんだ。何もかも田沼《たぬま》さんのお力でできたことなんだがね。」
田沼さんというのは、朝倉先生が学生時代から兄事《けいじ》し崇拝《すうはい》さえしていた同郷の先輩で、官界の偉材《いざい》、というよりは大衆青年の父と呼ばれ、若い国民の大導師《だいどうし》とさえ呼ばれている社会教育の大先覚者で、その功績によって貴族院議員に勅選《ちょくせん》された人なのである。次郎はまだ一度もその風貌《ふうぼう》に接したことはなかった。しかし、朝倉先生の口を通して、およそその人がらを想像していた。先生のいうところでは、「田沼さんは、聖賢《せいけん》の心と、詩人の情熱とをかねそなえた理想的な政治家」であり、「明治・大正・昭和を通じて、日本が生んだ庶民《しょみん》教育家の最高峰《さいこうほう》」だったのである。
次郎は、「田沼さんのお力で」という言葉をきいた瞬間、何か霊感《れいかん》に似たものが胸にわくのを覚えた。朝倉先生の青年塾の計画については全くの初耳であり、ただ先生が上京以来、普通《ふつう》の学校教育以外のことを何かもくろんでいるらしいと想像していただけだったが、田沼――朝倉――青年塾――と、こう結びつけて考えただけで、近年日本の空を重くるしくとじこめている雲の中を一道のさわやかな自由の
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