》え込《こ》みが幾重《いくえ》にも波形に重なって、向こうの赤松《あかまつ》の森につづいている。空は青々と澄《す》んでおり、風もない。窓近くの土は、溶《と》けた霜柱でじっくりぬれ、あたたかに光って湯気をたてていた。
次郎はしばらく窓わくに腰《こし》をおろしてそとをながめていたが、やがて陽を背にして畳にあぐらをかき、名簿を綴《と》じはじめた。クリップをかけるだけなので、六七十部ぐらいは大して時間もかからなかった。
名簿を綴じおわると、かれは窓わくによりかかり、じっと眼をとじて考えこんだ。開塾の準備は、これですっかりととのったわけで、天気はいいし、いつもなら、新しい塾生を迎《むか》える喜びで胸が一ぱいになるはずなのだが、今度はどうもそうはいかない。開塾が近づくにつれて、かえって気持ちが落ちつかなくなって来るのである。それは、このごろ、ともすると、かれの眼にうかんで来る二つの顔があったからであった。まるで種類のちがった、そして、おたがいに縁《えん》もゆかりもない二つの顔ではあったが、それが代わる代わる思い出され、全くべつの意味で、かれの気持ちを不安にしていたのである。
その一つは、荒田直人《あらたなおと》という、もう七十に近い、陸軍の退役将校の顔であった。
この人は、中尉《ちゅうい》か大尉かのころに日露《にちろ》戦争に従軍して、ほとんど失明に近い戦傷を負《お》うた人であるが、その後、臨済禅《りんざいぜん》にこって一かどの修行をつみ、世にいうところの肚《はら》のすわった人として、自他ともに許している人である。それに家柄《いえがら》も相当で、上層社会に知人が多く、士官学校の同期生や先輩《せんぱい》で将官級になった人たちでも、かれには一目《いちもく》おいているといったふうがあり、また政変の時などには、名のきこえた政治家でかれの門に出入りするものもまれではない、といううわささえたてられているのである。
次郎がこの人の顔をはじめて見たのは、第七回目の開塾式の時であった。その日、かれは玄関《げんかん》で来賓《らいひん》の受付をやっていた。受付といっても、いつもなら来賓はほんの六七名、それも創設当初からの深い関係者で、塾の精神に心から共鳴している人たちばかりだったので、かれにはもう顔なじみになっていたし、ただ出迎えるといった程度でよかったのである。ところが、その日は、いつもの来
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