》ではない。先生は、どうしてもっと積極的にものをいわれないのだろう。
朝倉先生は、しかし、あくまでも物やわらかな調子でこたえた。
「たしかにおっしゃるとおりです。で、私は及《およ》ばずながら、いつも塾生たちの心に光を点じ、希望を与《あた》えるような話をすることにつとめて来たつもりなのです。」
「ふん。」
と、荒田老は、いかにもさげすむように鼻をならした。それから、ずけずけと、
「あんたはやっぱり西洋式ですな。光だの、希望だのって、バタくさいことをいって、生きることばかり考えておいでになる。東洋の精神はそんな甘ったるいものではありませんぞ。東洋では昔《むかし》から、死ぬことで何もかも解決して来たものです。禅道がその極致《きょくち》です。大死《たいし》一番、無の境地に立って、いっさいに立ち向かおうというのです。そこにお気がつかれなくちゃあ、せっかくの静坐のあとのお話も、青年たちを未練な人間に育てあげるだけの結果になりはしませんかな。」
朝倉先生も、さすがにもう相手になる気がしなかったのか、
「いや、今日はいろいろお教えいただいてありがとう存じました。いずれ私も十分考えてみることにいたしましょう。」
と、おだやかに話をきりあげてしまった。
次郎はその時、朝倉先生が、かつてかれに、つぎのような意味のことを、いろいろの実例をあげて話してくれたのを思いおこしていた。
「みごとに死のうとするこころと、みごとに生きようとするこころとは、決してべつべつのこころではない。みごとに生きようとする願いのきわまるところに、みごとに死ぬ覚悟《かくご》が湧《わ》いて来るのだ。生命を軽視《けいし》し、それを大事にまもり育てようとする願いを持たない人が、一見どんなにすばらしい死に方をしようと、それは断じて真の意味でみごとであるとはいえない。」
次郎にとっては、この言葉は朝倉先生のいろいろの言葉の中でもとりわけ重要な意味をもつものであった。かれは、この言葉を思いおこすことによって、これまでいくたびとなく、かれの幼時からの性癖《せいへき》である激情《げきじょう》をおさえ、向こう見ずの行動に出る危険をまぬがれることができたし、また、かれが日常の瑣事《さじ》に注意を払い、その一つ一つに何等《なんら》かの意味を見出そうと努力するようになったのも、主としてこの言葉の影響《えいきょう》だったのである。
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