うして飯を食ったり話したりしている間も、私は禅をやっているんです。」
「なるほど。」
「どうです。塾生たちにも、少しやらしてみては?」
 荒田老はおしつけるように言った。
「坐禅《ざぜん》とまではむろん行きませんが、静坐程度のことなら、ここでもやっているんです。起床後《きしょうご》とか、就寝前《しゅうしんまえ》とかに、ほんの二十分か、せいぜい三十分程度ですが。」
「それでもやらんよりはいい。」
 と、荒田老は、これまでのぶっきらぼうな調子から、急に気のりのした調子になり、
「しかし、指導をうまくやらんと、時間のむだ使いになりますな。時間が短いほど、とかくむだになりがちなものだが、塾長さん、そのへんの呼吸はうまくいっていますかな。」
 田沼先生は、とうとうまた自分たちに矛先《ほこさき》が向いて来たらしい、と思ったが、もう逃げるわけにいかなかった。で、朝倉先生をかえりみて、
「塾長、どうです。これまでのやり方をお話して、ご意見をうかがってみたら?」
 朝倉先生は、ちょっとためらったふうだった。しかし、すぐへりくだった調子で、
「私には、本式な坐禅の指導なんか、とてもできませんし、ただ塾生たちに、朝夕少なくとも二回は、おちついて内省する時間を持たせたい、と、まあ、そんなような軽い気持ちで、静坐をやらしているわけなんです。ですから、べつにそう変わった方法はとっていません。ただ、静坐のあとで、――あとでと申しましても、静坐の姿勢をそのままつづけながらなんですが、――ほんの五六分、なるだけ心にしみるような例話や古人の言葉などをひいて、話をすることにしているのですが。」
「なるほど。」
 と、荒田老はめずらしくうなずいた。そしてちょっと考えるようなふうだったが、
「それはいい。心をすましたあとにきく短い話というものは、あとまで残るものです。だが、それだけに、その話の種類|次第《しだい》では、その害も大きい。これまでどんな話をして来られたかな。」
「やはり心の問題にふれた話がいいと思いまして――」
「それはわかりきったことです。だが、その心の問題というのが、このごろでは、どうもじめじめしたことになりがちでしてな。」
 次郎は、きいていて歯がゆかった。――朝倉先生は、これではまるで荒田老に口頭試問《こうとうしもん》でもうけているようなものではないか。屈従《くつじゅう》は謙遜《けんそん
前へ 次へ
全218ページ中58ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング