おれなかった。
 この驚きは、彼にとって決して無意味ではなかった。むろん、それは、まだ何といってもかるい知的な驚き以上には出ていなかったので、それによって、彼がはじめて母の愛を感じた時のような大きな転機を、彼に求めるわけにはいかなかった。しかし、彼の年配での、物ごとの知的理解というものは、これまでそれをくらましていた主観の雲が濃ければ濃いほど、時としては、かえって大きな力になって行くものなのである。
 実際、権田原先生は、自分の予期した以上の変化を次郎の様子にみとめて、自分ながら驚いた。重かった次郎の足は、それから見ちがえるほど軽くなり、口のきき方も次第にはればれとなって来たのである。
 次郎は、それからかなりたってから、だしぬけに言った。
「先生、僕、これまで、まちがっていたんです。僕、こんどはうちで恭ちゃんに教えてもらって、うんと勉強します。」
「うむ。……恭ちゃんって、君の兄さんだったね。」
「ええ、中学校の二年生です。僕と仲好なんです。」
「そりゃいいね。だが、試験間ぎわの勉強はかえってよくない。それよりか、気持を愉快にしていることだ。つまらんことで腹を立てたりしちゃいかんぞ。
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