ば、なさぬ仲はなさぬ仲のままで楽しくなれないわけはない、というのである。
俊亮もこれにはまったく同感だった。しかし、それでは強いて「母さん」と呼ばせなくてもいいことになりはしないか、という気もして、運平老のそれに対する意見を、内心興味をもって待っていた。
運平老は、しかし、その点になると、論理の筋道を立てる代りに、相変らす外科手術の比喩を用いた。つまり、なさぬ仲は、人間と人間とを外科手術で縫いつけるようなものだから、縫いつけるに必要な手数だけはびくびくしないで、やっておかなけれはならぬ。子供に「母さん」と呼ばせるのも、その手数の一つで、それは世間|体《てい》や何かのためではない。それが手おくれになると、疵《きず》がうまく癒着《ゆちゃく》しない、というのである。
「世間体など、どうでもよいことですよ。外科手術の疵は、どうせかくれませんからな。ただ、わしは、その疵がどんなに大きい疵でも、よく癒着していさえすりゃよい、とそう思いますのじゃ。」
運平老は、そう言って正月以降考えぬいていたらしい「なさぬ仲論」をやっと終った。
俊亮は、次郎にとってこれはいいお祖父さんが出来たものだ、と思い
前へ
次へ
全305ページ中67ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング